坂崎重盛翁の新著『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』(平凡社、二〇〇九年、装幀=間村俊一)が届いた。まずは装幀にまいった。タイトル「太丸ゴチ」というのは間村さんにしては珍しい書体の選択ではないだろうか(魚雷氏の本も丸ゴチだったか)。これが妙に坂崎翁のファンキーな雰囲気に似つかわしいのだ。本表紙の梶田半古の版画(坂崎翁所蔵)もまた何ともいい感じ。
坂崎翁がいかなる人物か、その答えはこの一冊にギッシリ詰まっている。「偽隠者(わたし)の方丈生活史ーあるいは蒐集する猿の小さな王国」という文章はごく簡略な自伝のおもむきもあるのだが、そこにこう書いてある。
《コレクションは子どものころからずっと続けてきた。小・中学生の頃は、切手や植物採集。高校に入ったころから、東京に関する古書や浮世絵の端物。大学時代の一時はJAZZに熱中したのでコレクションの方は手薄になったが、それでも木村荘八の随筆や三田村鳶魚の大正時代・昭和初期の刊行物などを集めていた。》
この後に蒐集テーマがずらりと並んでいる。キーワードだけ拾えば、隅田川、東京名所、鏑木清方(かぶらき・きよかた)、うちわ絵、宝船、みよごろ本(昭和三、四、五、六年刊の本)、ステッキ、ひょうたん、焚き火……とまあこんなぐあいである。むろん坂崎翁もタイトルが如実に示すように生え抜きの古本者だが、二階世界を巡るのだからわれわれと(いや小生とは)格が違う(ふつう古書店の二階はグレードの高い品揃え)。それらコレクション・アイテムを媒介としたイメージと言葉のきわめて幸福な睦み合いが文章のはしばしから感じ取れる好著。
書評欄には『気まぐれ古書店紀行』『文庫本雑学ノート』『路上派遊書日記』『古本屋月の輪書林』などの他に拙著『帰らざる風景』にも触れて下さった一文が収めれられているが、やはり目をみはるのは、筆力のこもった「嵐山光三郎の風貌・姿勢—文庫本解説・六花撰」であろう。一九八四、九〇、九〇、九二、九四、そして〇五年と文体は時々の変化を示しつつも読みどころというかピタリと押さえるべきところを押さえている。観察の鋭さとそれを表現する巧みさを併せ持つ筆致に舌を巻く。その極みが「山田風太郎 千分の一のお邪魔」であろう。晩年の山田風太郎の一面をまるで読者も同席しているかのような臨場感で再現してみせてくれる。う〜ん、まいりました。
散歩や酒食についての語りも読み飽きないけれど、巻末の「焚き火系」俳句二百句コレクションもちょっと他に類を見ない着想だ。この本を編集したのは旧知のTさん。昔から坂崎翁の心酔者であった。著者たるもの持つべきは誠実なる編集者である。
そうそう、人名などにていねいに振仮名がふってあって教えられることが多かった。料治熊太は「りょうじ」だと思っていたが、「りょうち」である。国会図書館はリョウジ、しかし検索すると美術館などではリョウチになっている。
÷
土曜日の夜から日曜の朝にかけてクロード・レヴィ=ストロースが死亡していたという発表があった。百一歳間際だった。