『活動倶楽部』第四卷第五号(活動倶楽部社、一九二一年五月一日)。萩2の均一に入っていたものだが、なかなか見所が多い。とは言え、さすがに大正時代の映画だとほとんど俳優の名前がピンとこない。ただしこの表紙はかのリリアン・ギッシュである。
ちなみに今年はチャップリン生誕120年。この雑誌の「於我国 外国映画俳優人気投票 第三回」によれば、チャップリンは第十六位である。一位はパール・ホワイト、二位ノーマ・ダルマッチ、三位プリシラ・デイーンと続く。
こちらの集合写真は「大正活映株式会社幹部役員の撮影」と題されている。説明文は《大正活映株式会社は近来目ざましい発展をいたして参りました。之は同社幹部です後列向つて右より重役志茂成保氏、撮影部長栗原喜三郎氏、重役中谷義一郎氏、前列向つて左より重役小松隆氏、顧問大島菊松氏、重役荒井精司氏、顧問宇治元吉氏です》。
大正活動映画は、浅野財閥総帥浅野総一郎の次男浅野良三が大正九年(一九二〇)四月に設立した。横浜山下町に本社と撮影所を構え無声映画を製作および配給した。文芸顧問に谷崎潤一郎、撮影所長にトーマス・栗原(写真後列中央の栗原喜三郎)を迎えている。第一作が『アマチュア倶楽部』で原作・脚本谷崎潤一郎、妻の妹葉山三千子が主演した。一九二二年初めまでの短期間に三十作品を製作して彗星のように消えて行った。栗原は一九二六年に四十一歳で歿したそうだ。
浅野総一郎、良三父子とブロツキー
http://tokyocinema.net/BJ07.htm
この写真はけっこう貴重なものかもしれない。
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とにかく蒸し暑い。日は翳っているが三十四度前後あって、不快な暑さだ。わが家は居間にクーラーがなく二階にあるので、二階から階段伝いに一階へ冷気が降りてくるように工夫している。二階から目薬のゆるやかな効き目。ただし無駄なエネルギーを使っているような気もするが。