昨夕は徳正寺で辻潤の遺墨そして尺八のコンサートを堪能した。遺墨は主に辻潤を世話した山本正一氏の元に残されたものを『虚無思想研究』編集委員会が管理している。今後は徳正寺に寄託することになるという。部屋の雰囲気と遺墨がぴったり合っていた。辻潤の著作も一冊を除きすべて集められていた。
同委員会の大月健さん、久保田一さんらとも久しぶりでいろいろお話できた(『ボマルツォのどんぐり』出版記念会以来)。扉野氏、マン・レイ・イスト氏とも。扉野氏はマン・レイ・イスト氏が一九七六年に萩原健次郎氏といっしょに作った十五部限定の詩写真集を取り出して、マン・レイ・イスト氏を驚かせた。
本堂に移って久保田さんの尺八。そして横山良平氏のダンスパフォーマンスがあり、それは福田蘭童の演奏レコードを蓄音器で再生しながら行なわれた。じつに不思議なダンスで、だんだんと光ってくる汗に、う〜ん、ちょっと魅かれました(ヤバイ?)。蘭童の音源はいまいち。
ここで先日引用した『牧神の午後』の映像(ヌレエフの牧神)がチラリと頭をかすめる。牧神の動き、マイケル・ジャクソンっぽかった。
福田蘭童は尺八奏者。青木繁と福田たねの息子で石橋エータローの父、というから歴史上の人物である。ラジオ番組「新諸国物語・笛吹き童子」のテーマ音楽がもっとも知られている。メインで尺八を演奏した松本太郎氏も蘭童の系統だという。そのためか「笛吹き童子」でスタートし会場の中高年を大いに沸かせた。
関ヶ原の合戦以降、虚無僧が急増した。その背景には、落ち武者の救済策として(あるいは諜報組織を兼ねるものとして)虚無僧の集団が、禅宗の一派・普化宗によって組織されたということがある。彼らは諸国を托鉢しながら尺八を吹奏した。その過程で多くの新曲が作られたそうだ。それらの曲には敗者の哀調があると松本氏。結局、明治四年、政府によって普化宗は解体されている(幕府との密着のためらしい)。
長尺の尺八(四尺あるということだった)を演奏して終了。アンコールの「サマータイム」がフリージャズっぽくてカッコ良かった。尺八という楽器の広がりを感じたコンサートだった。また、宗教に音楽は欠かせないから当然なのかもしれないが、この本堂の音響効果が良いのに驚かされた。
うらたじゅんさんも来られていて、お孫さんの話で盛り上がる(大月さんもお孫さんができたばかり)。また、長井勝一(ガロ編集長)の墓が徳正寺にあるので、その確認など。若き日に一度だけ長井さんに会って原稿を見てもらったことがあるそうだ。ただし売り込みではなく、ガロ編集部がのぞきたいばかりにさっと画き上げたとのこと。散開後、マン・レイ・イスト氏と軽く飲んで帰宅。