『詩学』17巻5号(詩学社、一九六二年六月三〇日、表紙=高木雅章)。じつに興味深いいくつかの記事が掲載されている。まずは、昨日も話題にした政田岑生。「広島県詩集出版記念会」(四月二日)の記念写真に写っていた。「小田久郎氏歓迎詩話会」の看板も見える(前列中央が思潮社の小田久郎)。政田は立っている列の左から五人目。
「消息」欄にこうある。
《寺山修司氏。九条映子氏と結婚。新居は東京都杉並区和泉町七六五。電話[略]》
また「会合」欄には桑島玄二。一時期、讃岐へ戻っていたようだ。
《桑島玄二詩集出版記念会。第四詩集『工業の周辺』刊行を祝い、4月1日夜、神戸市生田区北野町にある「六甲荘」一階ホールで開催。この詩集は神戸から離れて四国の香川県へ移住した、桑島氏の別れの詩集ともいうべきもの。出席者、亜騎保・内田豊清・丸本明子・山南律子・鳥巣郁美・津高和一・貝原六一・安水稔和・君本昌久・中村隆・伊勢田史郎・藤村壮・藤井利平らほか十名》
「詩学ジャーナル」欄では、
《芸術院会員に就任した西脇順三郎氏の祝賀会が、さる3月17日夜、東京築地の『灘万』において開かれた。親しい詩人仲間の内輪の会ということだつたが、吉田精一、春山行夫、滝口修造、上田保らの諸氏が参加、歓談のつきない夜となつた。
西脇氏は夫人とともに出席、なかなかのゴキゲンだつたが、挨拶のときにはウイスキーの壜を手にしてつぎのようにいつた。「今日の私の存在は、みなさんがたの存在であります…」》
《西脇順三郎氏。5月20日、イタリー航空の招きにより、イタリーへ飛ぶ予定。約一週間滞在。》
祝賀会の写真も掲載されており、そこには村野四郎、蔵原伸二郎も写っている。
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『海鳴り』21(編集工房ノア、二〇〇九年六月一日、表紙絵=庄野英二)が届いた。巻頭に小沢信男さんが「『リレハンメルの灯』のもとに」が載っている。一月に宮川芙美子『リレハンメルの灯』出版記念会に来版されたときの記録である。かつて日本文学学校で宮川氏の組を担任したのが小沢さんだったそうだ。
《なにごとも関西のほうが息が長いようだ。VIKINGも、文学学校も、潜水艦も、えんえんとつづいて当然の顔つきは、やはり根っこがあるのだろう。諸国寄り合いの東京は、なにごとも挿し木のあんばいで、うかうかしていると根こそぎ変質のおそれがある。新日本文学会も、日本文学学校も、先年解散した。いっそつぶしてこそ継続するものも、なくはないのかもしれない。》
その翌日、小沢さんは大阪城公園の豊国神社へ鶴彬の句碑を訪ねたとのこと。大阪衞戍監獄跡地。そこに鶴彬が一年八ヶ月《ぶちこまれていた》そうで、二〇〇八年九月十四日(命日)に句碑は建てられたという。
曉をいだいて闇にゐる蕾 鶴彬