雨。風強し。美術倶楽部へ。午前中は悪天候のため人出はまばら。午後になるとようやくにぎわってくる。サッカーの日本代表監督だったトルシエ氏がウロウロしている。聞くと、よくオークションなどにも顔を出しているそうだ。
会場全体の空気は低調ながら、拙作はいくつか売れた。閉場前に装幀家のSMさん来場。画廊主の案内でいっしょに
銀座七丁目新橋駅寄りのロックフィッシュという立ち飲みバーへ。カウンターには食味関係の古本がずらり(『sumus』9号あまカラ洋酒天国も)。一同、名物のハイボールを味わう。レモンピールがほんのりと爽やかな青春の味。同席した人々は一様にサントリー・レッド、いやホワイトしか飲めなかった若き日の下宿へタイムトリップしていたようだ。聞くところによれば、店主の間口(とばぐち)氏は一九六九年愛媛県出身で、大阪のサンボアで修業、二〇〇〇年、北浜に一号店を、銀座には二〇〇一年に店を出したとのこと(大阪店は閉店)。
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昨日から会場でいろいろないただきものをした。みなさん、小生のよろこびそうなものをとのお心遣い、有り難く頂戴する。まずは『図画辞典』(野ばら社、一九五五年改訂)。先日紹介した
『図案辞典』(志村文蔵編、野ばら社、一九五二年改訂)の姉妹篇だろうか。図画というだけあって、内容は同じようなものながら、描き方が絵画的にアレンジしてある。ほんとにコレクションのレパートリーになりそう。
さらに内田巌『人間画家』(宝雲舎、一九四七年)も。このブログでは内田巌の再評価、とくに文業の、を心がけているが、本書にもいい文章が収められている。「野田英夫」は野田の素晴らしい性質が間近で見るように慈しみをもって描かれているし、「野草(若きヒユーマニスト芸術家達の死)」も若くして無名の内に逝った知人たちを悼む貴重な文章だ。なかに柳瀬正夢が数えられているのが目にとまった。おそらく没後(一九四五年五月二五日、新宿駅西口で空襲により死亡)柳瀬を取り上げたもっとも早い時期の記述ではないかと思う。
『柳瀬正夢資料集成 柳瀬正夢生誕百年記念』(武蔵野大学資料図書館、二〇〇〇年)の「柳瀬正夢および作品に関して」というリストを見ると、雑誌『太陽』一巻四・五号(太陽社、一九四六年五月)で村山知義が「移動演劇に就いて」として触れたのがいちばん早いようだ。次はこの内田巌の言及になる順番なのだが、リストから洩れている。おそらく雑誌『クマンバチ』(くまんばち社)一九四九年二月号の柳瀬正夢特集が再評価のさきがけとなったと思われる。
そして西村氏には古書店レッテルをたくさん頂戴した。古めのいくつかを掲げてみる。いつかレッテル図録でも作ってみたいものだ。
また某氏より、今も大阪の堂島にある
紅茶専門店ムジカ(一九五二年創業)が一九五五年に発行していたパンフレットというかプログラム『ムジカノ友』をまとめていただいた。これはかなり高度にリベラルというか平和主義のみなぎる内容である。謄写版。
いやあ、なんだか、神保町にも劣らない収穫、感謝、感謝です。