ウェッジ文庫の話を出したので、岩本素白『東海道品川宿』(ウェッジ、二〇〇七年、装丁=上野かおる)を取り出して読んでみた。といっても今のところこれしか持っていないのだが。編集長が力を入れているだけあって、危なげのない筆致である。巻頭の、少年時代(明治中期)の学校や塾の様子などを回顧した「ゆく雲」はとくにいい。子供達が先生の本箱の抽き出しを勝手に開けて落款のセットを見つけて騒ぎ立てるところなど、いきいきと描かれていて感心した。
岩本が育った品川宿には、小さな床店の本屋しかなく、東京まで買出しに行く「使い屋さん」に頼んで、教科書などを買っていたという。
《孝経の次の大学、中庸、論語、これらは渋茶色の表紙を持ち、和紙ではあったが粗悪な紙で、こす[二字傍点]ると毛ば立ち、くたくたする本で当時一般に読まれた後藤点[ルビ=ごとうてん]と称するものであった。》(東海道品川宿四)
後藤点が本の種類のように書かれているが、もちろんそれは、返り点(訓点)のヴァリエーションのひとつで、江戸中期の儒者、後藤芝山(ごとう・しざん)が考案したもの。他に道春点、闇斎点、益軒点など多いが、後藤点がもっとも流布した。たまたま架蔵している『春秋』の一冊、題箋のところに「再刻後藤點」と明記されている。だから後藤点と呼ばれたに違いない。
これには刊記はないが、岩本の言う明治中期あたりものだろう。版そのものは江戸期かもしれないにしても、見て分かるように、そうとう擦り切れて、印刷が鮮明でない。繰り返し増刷された証拠。ちなみに後藤芝山(一七二一〜八二)は讃岐の人。高松藩主の侍講となり、藩校の講道館を設立した。