明治四十年創業。日本文学と歴史が専門だった。何年か前にご主人が亡くなられ、一時は閉店するのかと心配されたが、現在は夫人が引き継いでおられる。河原町通三条下ルの好立地なので、均一をもっと動かせばそうとうなものだと思うが、これはやや物足りない。店内の方がいい。
それでもここから表紙画・岡村不二の『国民の歴史』(実業之日本社、一九四八年一〇月一日)を見つけてよろこぶ。
《三条通りを東に行った新京極のつきあたったところに「大学堂」と名乗った古本屋も明治四十年に開店した。伊勢四日市から出てきた大学に何のゆかりもない人が、大学堂と名乗ったのも何かこの時代の空気を現わしているかのようである。》《新しい河原町の本屋街の草分けは、丸太町の国井書店でしばらく店員をしていた杉原作次郎だといわれている。彼は道具屋の子供だった。独立して河原町に店をもったが、深刻化する不況の重圧にたちまち行きづまつた。店を三条通りの大学堂杉田長太郎に譲って、業界から消えた。さすが大学堂は明治の終りから苦労しており、そのうえ番頭の阪倉庄三郎がいたので、これに河原町の店の経営を委せた。杉田、阪倉は伊勢四日市出身であった。杉田は木材、阪倉は製糸をやっていた。両家は近い親戚関係にあった。前者は日露戦後の反動で、後者は欧州戦後の反動で失敗し、つづいて京都に出て古本屋をはじめることになったのである。》(脇村義太郎「京洛書肆街考」)
京都市中京区河原町通三条下る大黒町54