『鶏頭陣』第十四巻第二号(鶏頭陣社、一九三八年二月一日)より永田耕衣の句が載っているページ。『鶏頭陣』は小野蕪子(賢一郎)の雑誌である。小野は『ホトトギス』への投句から原石鼎に兄事して石鼎の『鹿火屋』で活躍したが、昭和四年一月から『鶏頭陣』(けいとうぢん)を主宰、蕪子が歿した後の昭和十八年五月号(蕪子追悼号)で終刊した。耕衣や鷹女らが同人だった。
蕪子は日本文学報国会の結成に与り、新興俳句・プロレタリア俳句運動などに対する俳句弾圧事件(京大俳句事件)の黒幕、または密告者と言われた。そういうこともあってか、どうか、『鶏頭陣』を所蔵しているところが少ない。ざっと調べたところでは、国会と日本近代文学館にはなし、さすがのカナブンだけ。これも均一箱で50円だった。
この雑誌、9〜10頁(一枚)が切り取られている。そしてそこに付録が貼付けられている。それによれば、たまたまこの号の校正刷りを見ていなかった蕪子が、同人の掲載作品を《私が警保局長なら当然発禁処分にすべきと思ふ》ほどのものと判断したため、切り取られてしまったようだ。《俳壇不健康分子に与へる鶏誌の揺ぎない指標》として蕪子がその作者に与えた手紙の文面が印刷されている。また蕪子の「正しい日本語」というエッセイも掲載されおり、まあ、こういう論調は末世のならいだとしても、耕衣の青年時代を考える上では重要なことである。