野崎泉編『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』(らんぷの本、河出書房新社、二〇〇九年、装幀・レイアウト=堀口努)。
古書渉猟日誌の野崎さんが東郷青児の魅力を多角的にとらえて編集した珠玉の一冊。絵画やデッサンはもちろんのこと、装幀本からマッチ、包装紙、化粧品のパッケージ、マンガまで。ゆかりの喫茶店やエッセイ、令嬢東郷たまみへのインタビューもあるという盛りだくさんな内容で飽きさせない。特設ページは下記。
東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち
装釘(青児はこの字を使っているそうだ)、とくに戦前の装釘作品はやはり誰にもまねのできないセンスがある。非常にアビヴァレントな性格がよく出ている。少女のような鈍感さと少年のような羞い、これがどちらも強く主張し合って崩れそうで崩れないバランスを保っている。その絵画作品について北園克衛はこう評している(本書 p120)。
《氏の色彩は寒い。これがまた装飾美術的甘さを造る。甘さは欠点ではない。
氏の古さは官能的である事だ。そしてそれは氏のテクニックの性質と完全に平行してゐる。
氏の絵画の最も本質的な欠点は此の平行に依つて装飾主義的効果に限定してしまふ所にある。ダリのミステイシズムはくだらない。しかし氏の場合精神的である事は非常に必要であると考へる。》(『木香通信』昭森社、一九三六年より)
こう言われたからというわけでもないだろうが、東郷は仏像を見るのが趣味だったそうだ。その絵画作品にも宗教的な主題の変奏を見出すことができるだろう。むろん《精神的である事》というのは、ま、そういうことじゃない。《本質的な欠点》は補いようもないし、逆に考えれば、本質的な長所でもある。そして東郷がながらく活躍し、ひろく受け入れられたという事実は、またわれわれ日本人の本質にもかかわることだろう。
京都にはソワレという東郷青児で有名な喫茶店があるし(むろん本書でも詳しく紹介されている)、京都朝日会館の外壁には巨大な東郷青児の壁画(一九五二年完成)が取り付けられていた。小生も中学生のときの京都旅行で見たような記憶もあるが、ちょっとあいまい。同館が改築完了されたのは一九七五年のようだから、可能性はある。